マセラティ「MC12」のベースは、「エンツォ フェラーリ」だった!【エンツォ物語:03】(くるまのニュース)

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 だがエンツォを生み出したフェラーリの戦略というものは、これでは終わらなかった。エンツォが発表されて以降、ファンの間ではフェラーリがそれをモータースポーツの世界に投じる計画が存在するのかどうかが常に話題となっていた。  当初はその計画こそなかったものの、プライベーターからの要求によって、複数のコンペティション仕様を生み出し、それがサーキットに投じられるに至ったF40。そして試作車としてGT仕様を製作するも、結局それが実戦投入されることはなかったF50、といった前例を考えれば、このような議論が巻き起こるのはきわめて自然な成り行きである。  だが結論のみを簡潔に報告するのならば、フェラーリは、エンツォをベースにコンペティション仕様を製作するという結論を望まなかったのだが、一方水面下では驚きのプランが着々と進行していた。当時フェラーリと共存共栄の道を歩んでいたマセラティから、エンツォの姉妹車ともいえるモデルを発表し、それをモータースポーツの世界に投じようというのである。  当初「MCC=マセラティ・コルセ・コンペティツィオーネ」のネーミングとともに、FIA‐GT選手権への参戦計画を明らかにした新作は、マセラティ社の創業90周年にあたる2004年のジュネーブ・ショーで正式発表された時点で、新たに「MC12」へと車名を改め、その全貌が明らかになった。  同時にレース仕様となるコンペティツィオーネのほかに、ロード仕様のストラダーレ(こちらはシンプルにMC12と呼ばれる)が生産されることがアナウンスされ、エンジニアリング面でのベースとなったエンツォが発表された時と同様の、いや計画された生産台数を考えれば、それ以上ともいえるインパクトを、市場に与えてくれた。  エンツォがあくまでもロード仕様を前提としていたこととは対照的に、MC12の場合はレース仕様があくまでもその主流といえる。したがってエンツォでは、カスタマーの希望どおりにボディカラーなどを選択することができたが、MC12の場合は、ビアンコ・フジと呼ばれるホワイトと、いわゆるマセラティ・ブルーの2トーンによるボディカラーが唯一設定されていたのみであった。  可変ウイングの類は一切採用されておらず、リヤウイングの角度調整も不可能。ここにエンツォとMC12との間にある、大きなキャラクターの違いが表現されているのである。

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(2020/07/18)