神父による児童への性的虐待を描く『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』。被害を訴える男性たちの前に立ちはだかるいくつもの壁。(HARBOR BUSINESS Online)

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 「君も触られた?」──2014年のある日、40歳の男性アレクサンドルは、幼少時に同じボーイスカウトにいた知り合いからそう尋ねられ、自身が性的虐待をされた事実をまざまざと思いだす。加害者である神父のプレナは今もなお罪に問われてはおらず、あろうことか堂々と子どもたちの前で聖書を教えていたのだ。  アレクサンドルはプレナ神父の過去の性的虐待を告発するため行動を起こすが、最初に相談した枢機卿はその処分に同意しながらも、いつまでも裁こうとしなかった。プレナ神父は表向きには周りから尊敬された評判の良い人物でもあり、その権力のために処分を受けにくくなっていたのだ。  さらに、アレクサンドルには自身の事件がすでに時効を迎えているという事実が重くのしかかる。そのため、彼にはまだ時効に達していない被害者の声が必要だったのだが、協力を求めても関わりそのものを拒む者、自分の人生を卑下しつつアレクサンドルを突き返してしまう者もいた。  何よりもつらいのは、「20年~30年経って、やっと言えた」ということだ。アレクサンドルだけでなく、彼が協力を求める男性たちは、性的虐待を受けたトラウマにずっと苦しんできたにも関わらず、ここまでの長い時間をかけないと、その事実を言葉にすることさえできなかったのだから。  中には、思春期の頃に勇気を振り絞って親に打ち明けたことがあっても、協会側から“うやむや”にされて告発まで辿りつけなかった者もいる。さらには、やっと被害者として声をあげるチャンスができたとしても、「何も言いたくない」「思い出したくない」と、申し出自体を断る心理も生まれてしまっている。  「時間が経ってやっと告白できた」のに「時効が成立し得る」というジレンマ、告発のためには自身のトラウマと向き合わなければならないという葛藤、告発することで自身の家族や恋人も巻き込んでしまうという代償……そうした個々人の事情が、告発までの障壁になっていく。それでも、“正しいこと”をするために、彼らは友情にも似た結束を固め、強大な権力を持つ加害者を罪に問おうと試みる。そのために周到な準備を重ねていくことになる彼らの姿は、希望にもあふれていた。

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(2020/07/18)