世界に通じるダテ男、初代仙台藩主・伊達政宗ゆかりの地【青葉城編】(nippon.com)

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全国で戦国武将が台頭し、覇権をめぐる争いが頻発した戦国時代(1493-1590)。政宗はその真っただ中、当時出羽国(現在の秋田県と山形県)を治めていた伊達家の嫡男として米沢城で誕生した。幼少期に天然痘を患って右目を失明するも、17歳で家督を継いで以降、奇抜な戦略と数々の武功によって、「独眼竜」の異名とともにその名を全国にとどろかせた。 1600(慶長5)年の関ケ原の戦いでは、勝利を収めた徳川軍に加勢。翌年から青葉山(仙台市青葉区)で城の建設を開始し、仙台藩が成立した。城下町も整備し、東北地方最大の都市・仙台の礎を築いていく。米の生産量を基に領地の規模を表す「石高(こくだか)」で、仙台藩は62万石。これは、「加賀(現在の石川と富山)100万石」の前田氏、約73万石の薩摩藩(現在の鹿児島)の島津氏に次いで3番目の規模だったという。 政宗は、料理や和歌にも精通する文化人であった。しゃれた装いと粋な振る舞いは「伊達男」の語源になったともいわれ、片目に眼帯、漆黒の甲冑(かっちゅう)に身を包んだ独特の風貌で、小説や映画、アニメ、ゲームの登場人物となることが多い。1987(昭和62)年放送のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』は、平均視聴率39.7パーセントと大河ドラマの歴代最高を誇る。 小田原征伐への参加が遅れ、天下人・豊臣秀吉(1537-1598)の反感を買った際には、白い死に装束をまとって謁見(えっけん)し、その覚悟に感服した秀吉から許しを得たというエピソードは有名だ。そうした個性豊かで機知に富んだパフォーマンスの数々が伝わるため、政宗は現代の人々をも引き付けるようだ。

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(2020/07/16)