75年前“鉄の街”を襲った米軍艦砲射撃…今年の慰霊祭は中止に 北海道室蘭市 (HBCニュース)

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 シリーズでお伝えしている「戦後75年、北海道と戦争」。75年前の7月15日、鉄の街・室蘭はアメリカ軍の標的になりました。室蘭出身の記者がふるさとの戦火を取材しました。  2つの大きな鉄工場とともに栄えた、鉄の街・室蘭。この街に生まれ育った私は、75年前の7月15日、室蘭で多くの民間人が犠牲になった艦砲射撃の被害を数年前まで知りませんでした。  「民間人ばかり、およそ200人が犠牲になった中島本町に建てられた慰霊碑です。ここでは毎年7月15日に、慰霊祭が開かれていましたが、今年は中止になりました」(記者リポート)  戦火を語り継ぐ場、慰霊祭。新型コロナウイルスの影響で、室蘭市が来月行う戦没者追悼式も、今年は遺族のみの参加です。  「軍艦みたいのが4隻…」(高橋昭五郎さん)  室蘭で生まれ育った高橋昭五郎(たかはし・しょうごろう)さん、88歳。13歳だった75年前の7月15日、軍用品を製造していた鉄工場などが狙われ、ふるさとは軍艦からの「艦砲射撃」を受けました。  「日本の軍艦が室蘭を守ってくれてると思い、黙って見ていたんですよね。そうしたら、ものすごい音が始まったの。同時に(軍艦が)火を噴き始めたわけさ。新日鉄の外にね、むしろかなんか敷かれて横たわっていたよ、死んだ人がいっぱい」(高橋昭五郎さん)  艦砲射撃では、民間人を中心に、少なくとも500人以上が犠牲になりました。  「(戦争の話は体験された方々からすると、思い出したくない、話したくないと思うものなんですか?)いいことってないからね。全部悪いから。100パーセント悪いんだ。理解もしにくいと思うんだ。一生懸命しゃべったとしてもね。まったく時代が違うから」(高橋昭五郎さん)  戦後75年、時の経過と未曾有の感染症拡大が、戦争を語り継ぐ難しさを色濃くしています。

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(2020/07/15)