“ハミルトン虐め”のF1開幕戦!?──F1グランプリを読む(GQ JAPAN)

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寄って集ってルイス・ハミルトン虐めか、と思った。4カ月遅れでやっと開催された2020年シーズンのF1グランプリの開幕戦、オーストリアGPを観た感想だ。ハミルトンは予選で3グリッド降格、決勝レースで5秒加算のペナルティを課せられた結果、健闘虚しく4位に甘んじた。本来なら優勝さえ可能なレースだった。 待ちに待ったレースの開催だった。昨年11月に2019年シーズンの最終戦が終了してから、実に8カ月ぶりのF1グランプリ。今年3月にオーストラリアGPが開幕寸前でキャンセルされ、F1関係者のみならず世界中のファンがフラストレーションに押し潰されそうになりながら耐えてきた。しかし、いざ蓋を開けてみるとことは淡々と進み、待望の開幕に、涙さえ出るのではないかというぐらいに募っていた感激への思いは、見事に裏切られた。なぜか開幕戦の感動はそこにはなく、すでにシーズン中盤のレースのひとつと同じように消化された。不思議なF1グランプリ開幕戦だった。 新型コロナウイルス禍で例年のレースと異なる点は多々あった。巨大な観客席に観客はひとりもいず、パドックにはチーム自慢の豪華なモーターホームの姿はなく、ピットは各チーム間で行き来が禁じられた。200人収容可能なメディアセンターには主催者制限で10数人の記者の姿しかなく、FIAの記者会見は広い会見場に距離を取って置かれた椅子に記者が座る。各チームのメディア・スクラムは当然行われず、世界各国で自宅待機中のメディア関係者との間でリモートでの質疑応答が行われた。これらは確かに以前とは大きく変わった点だ。不便な点はあげればきりがないが、関係者は忍耐強く対応し、レースは滞りなく行われ、レース後のニュースも例年に変わりなく世界中のメディアを埋め尽くした。つまり、様々な制約はあったが、F1グランプリは健在であるということを見せつけたわけだ。 End Racism では、レースはどうだったか? なぜ私の目にハミルトン虐めと映ったのか? そのことを見ていこう。 7月5日の日曜日の決勝レースに向けて金曜日から練習走行が始まったが、メルセデスの安定感は抜群だった。木曜日のフリー走行の1回目から3回目まで、すべてハミルトンがベストタイムをたたき出し、チームメイトのバルテリ・ボッタスがそれに続くタイムを記録した。今年も昨年同様メルセデス独走のレースが続くように思わせる

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(2020/07/10)