「自粛警察」は、他人に配慮しすぎた人たちの成れの果て(PHP Online 衆知(Voice))

【リンク先抜粋】
現在のコロナ禍という状況では、休業や自粛要請下で求められる条件により、人びとの分断が生じやすくなっているといわれる。しかし、そうした分断は、今回の状況により初めてもたらされたものなのだろうか? ここではその問いについて、筆者の専門とする「相互行為論」を手がかりに考えていく。 「相互行為論」は社会学の一分野で、「他人の立場の取り込み」という視点からコミュニケーションについて研究するものである。相互行為論が展開した1920年代のアメリカは、ちょうど映画というメディアが社会に普及しはじめたころであった。 そこで、「他者の取り込み」に関する研究のひとつとして、社会学者のハーバート・ブルーマーらによって、次のような映画についての証言が集められていた。 「私は、映画を見たあとに、お気に入りの女優になって演じてみました。しばしば、鏡の前に立って、素晴らしいと思う女優たちの上品で優雅な身振りの真似をしたのです」(19歳学生の証言、1933年より)。 簡単にいえば、こうした「身振りの真似」が「他者の取り込み」に相当するもので、専門的には「役割取得」と呼ばれる。 相互行為論では、お互いの立場の交換によって社会が成り立っているという考え方から、言語や身振りが他人の立場を取り込む手がかりになっていることに注目し、実際に人びとがどういった情報を手がかりに役割取得を行なっているかについて研究がなされる。 この証言のような例は、当時の10代に多く見られたこともあり、思春期によくある他愛のない行動にも見える。しかし、この例が研究上重要なのは、映画の登場によって、メディア上の他者の行動が、多くの人に共通して模倣される対象となったことを示しているからである。 さらに、20世紀以降、テレビも含めたメディアによって、身振りという細かい行動のレベルにまでおよぶ模倣が可能になり、直接の人間関係では生じなかったような、特殊な役割取得がなされてきたことを意味する。 このような相互行為論の視点から、最近の日本の状況を考えるにあたり、まず、去る3月に起こったトイレット・ペーパーの買い占め騒動を取り上げてみよう。そこで特徴的だったのは、「紙はマスクの原料なので不足する」という理由が事実無根であり、多くの人はそのウソに気づいていたらしいことだ。 それではなぜ、実際に買い占めが起きたのかといえば、「そん

続きはこちら

(2020/07/10)