『ジュラシック・パーク』で大活躍の恐竜、本当はこんな姿だった(ナショナル ジオグラフィック日本版)

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 誤解が広まった経緯はこうだ。  ディロフォサウルスの化石は、1940年にアリゾナ州チューバシティにほど近い米国先住民ナバホ族の自治区で初めて発見された。発見者は、ジェシー・ウィリアムズさんというナバホ族の男性だった。1942年に、ウィリアムズさんは化石をカリフォルニア大学バークレー校の古生物学者に見せた。そこにいたサミュエル・ウェルズ氏が、1954年にそれを新種として記載した。  ディロフォサウルスの復元を担当したチームは、完全な骨格を展示したかったので、足りない部分は石膏で作った骨で補完した。その際に、アロサウルスという別の肉食恐竜に似せて骨格を形作ったため、完成した恐竜は本物のディロフォサウルスとはまるで違う外見になってしまった。しかも、ウェルズ氏は1954年の論文でも、1984年に発表したもう一本の論文でも、どれが本物の化石でどれが石膏なのかを明らかにしなかった。  この2本の論文を基にその後の研究が進められたことから、混乱が生じた。はたしてディロフォサウルスとは、三畳紀の肉食恐竜で七面鳥サイズのコエロフィシスに近いのか、それともジュラ紀後期のより大きなケラトサウルスやアロサウルスに近いのか、様々な憶測が飛び交った。 「1984年の論文以降の議論は、本物の骨格の話をしているのか、それとも石膏の骨のことを話しているのか、はっきりわかりませんでした」と、マーシュ氏は言う。その後、時間と資金を費やして詳しい研究をする者もいなかったため、ディロフォサウルスの解剖学的構造についての混乱は、数十年もそのままになっていた。 「誰もがそれぞれの研究のために何らかの形で頼っていた論文が、実はまとめられた時点で問題があったことがわかったのです」と、ミネソタ大学古生物学者のピーター・マコビッキー氏は言う。同氏は、今回の新しい研究には関わっていない。

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(2020/07/10)