人権派弁護士から大統領候補の一人に 故ソウル市長の政治人生9年(聯合ニュース)

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【ソウル聯合ニュース】人権派弁護士で市民運動家だった故朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が政界に進出したのは2011年の市長補欠選だった。  当時、無所属で出馬した朴氏の支持率は約5%にすぎなかったが、安哲秀(アン・チョルス)候補が出馬を断念して朴氏の支持を表明し、支持率が急上昇した。野党候補を一本化する予備選で勝利し、与党「ハンナラ党」(現・最大野党「未来統合党」)の羅卿ウォン(ナ・ギョンウォン)候補を破って当選した。   野党「民主党」(現・与党「共に民主党」)はソウル市長選前から朴氏に入党を要請し、選挙運動も支援したが、朴氏は「市民候補」として既成の政治勢力とは距離を置く姿勢を見せた。12年に民主党が「民主統合党」になった後、正式に入党した。  14年の統一地方選で再選すると、有力な次期大統領選候補の一人として浮上した。  だが、市政運営により中央の政治舞台とは距離を置くしかなかった。党内基盤の弱さが弱点に挙げられた。  17年の党の大統領選候補選びでは支持率が低調で不出馬を表明した。  18年の統一地方選ではソウル市選挙区に出馬した党候補の支援に努め、自らも3選を果たした。今年4月の総選挙では「朴元淳派」とされる10人以上が国会議員に当選した。  新型コロナウイルス対策では緊急支援金の給付など指導力を発揮した。  今月6日の記者会見では「静かな革命を起こしてきたと評価したい」として、「(大統領は)やりたくてできるものではなく、やりたくなくても(大統領に)なってしまう運命的な職」と述べていた。

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(2020/07/10)