【萬物相】京釜高速道路50年(朝鮮日報日本語版)

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 ドイツを韓国の国家発展モデルにした最初の指導者は朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領だ。第2次大戦後に輝かしい経済成長を遂げた旧西ドイツを、1964年に国賓として訪問した。韓国国民1人当たりの国内総生産(GDP)が100ドル(現在のレートで約1万762円。以下同じ)余りのころだった。当時の首脳会談の通訳はこう回顧する。「朴大統領は涙を何度も流しながら『韓国国民の半分は飢え死にしつつある』『金を貸してほしい』と言った」。朴・元大統領は、ドイツ首相から「アウトバーンのような高速道路、自動車、鉄鋼産業を育成しなければならない」という助言を聞いて帰国した。  京釜高速道路建設計画は、およそ2年にわたって秘密裏に進めた準備の末、1967年の大統領選挙で発表した。野党はもちろん学界、メディアでも「道が敷かれたら富裕層の遊覧道路になるだろう」「国家財政が破綻する」と反対した。当時、本紙の社説も「技術・資金が不足」「夢みたいな計画」と書いた。それでも朴・元大統領は推し進めた。縮尺2500分の1の地図を執務室に掲げ、定規を当てて路線を描き、インターチェンジを自らスケッチするほどに強い情熱を注いだ。側近には「君、俺は高速道路に狂ったぞ」とまで言って督励したという。  京釜高速道路は1970年7月7日に竣工した。外国の支援を受けず、韓国の力と韓国の技術で430キロを貫通させ、道をならした。道路1キロ当たり1億ウォン(約900万円)前後という工事費は、当時建設中だった日本の高速道路に比べ20%の水準だった。「世界で最も短い期間、最も安い工事費で作った高速道路」「なせば成る」というプライドを韓国国民が抱いた。

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(2020/07/08)