2002年11月1日、松井秀喜が笑顔なきメジャー挑戦会見で「裏切り者」発言 その真意を語る単独インタビューを全公開(東スポWeb)

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【球界平成裏面史(68) 松井FA後編】平成14年(2002年)11月1日午前10時、帝国ホテルの会見場はテレビカメラ20台、カメラマン50人、300人を超える記者が詰めかけた。ダークグレーのスーツに身を包んだ松井秀喜が姿を見せると無数のフラッシュが浴びせられた。表情は緊張して硬いというより、悲しそうに見えた。 「私、松井秀喜は今年取得しましたフリーエージェントの権利を行使して、来季よりアメリカ、メジャーリーグでプレーすることを望み、その道を選びました」  松井は言葉を選びながら思いを吐き出した。 「一緒に戦ってきたチームメートにも大変心苦しい思いでいっぱいです。僕のわがままを許してくれるか分かりませんが、決断した以上は命を懸けて頑張りたいと思っています」  質疑応答でファンへの思いを聞かれると「今は何を言っても裏切り者と思われるかもしれませんが」と衝撃の単語が飛び出した。常にファンを大事にしてきた松井らしいともいえるが、残留を説得されるなかで厳しい言葉を浴びせられたのではと想像した。  約40分で会見は終了したが松井は最後まで笑顔を見せなかった。なぜ、裏切り者という言葉を使ったのか。本心を聞きたかった記者は午後1時すぎにダメもとで松井の携帯にかけてみた。すると予想に反して「もしもし…」の声が。 「アレっ」 「アレじゃないでしょう。電話してきて」 「まさか出てくれるとは思わなかったから」  本紙2日発行の1面で単独インタビューとして報じたが、松井の発言を全て掲載したわけではない。今回は全文を公開する。  ――電光石火の決断だった。なぜ、10月31日だったのか  松井:自分なりに早く決着をつけようと思っていた。(メジャーでやるという)結論は出ていたからね。ファンの人を結果的に裏切ったと思うけれど、ズルズル引き延ばすと球団に迷惑をかけることになるし、ケジメをつけたかった。  ――FA宣言してスッキリしたか  松井:スッキリはしていないよ。肩の荷が下りたというのはあるけれど(移籍球団が)決まったわけではないからね。ようやくスタートできるということ。スッキリするのは全部決まってからだね。  ――会見では表情が暗く、とうとう最後まで笑顔が見られなかったのは精神的に吹っ切れていないのでは  松井:そりゃ明るい表情はできないでしょう。もちろん(権利

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(2020/07/07)