パンテーラの成功で、モデナ最大規模の自動車メーカーへ──イタリアを巡る物語 VOL.05(GQ JAPAN)

【リンク先抜粋】
デ・トマソ・アウトモビリの資金源であったローワン社の経営トップ達が乗るジェット機が墜落し、死亡するという思いも寄らぬ出来事に襲われたのは1969年11月のことであった。プロジェクトの鍵を握っていたキーパーソンの死去により大ピンチとなったパンテーラ・プロジェクトであったが、既にニューヨーク・モーターショーでお披露目を終えており、今さら中止する訳には行かなかった。 前回のエピソードで書いたように、アレッサンドロ・デ・トマソがリー・アイアコッカに懇願したのは、フォードによるパンテーラ・プロジェクト全体の買い上げであった。その提案には、デ・トマソ・アウトモビリの買い上げのみならず、その傘下にあったカロッツェリア・ギアとカロッツェリア・ヴィニヤーレをも含まれていたのだった。 アレッサンドロから提案を受けたアイアコッカは、フォードの会長であるヘンリー・フォードII世にパンテーラ・プロジェクトの買い取りを恐る恐る申し出たのだが、ハナシはとんとん拍子に進んだ。フォード役員会でも承認され、フォードII世とアレッサンドロの顔合わせも完了。すべてはアレッサンドロの希望通りとなった訳だ。 アレッサンドロが鬼籍に入ってしまった今となっては知るすべもないが、彼は“これは悪くない結末だ”と、ほくそ笑んでいたに違いない。いずれにしても、これで彼はパンテーラの開発資金で悩む必要はなくなった。タイミングがよかった。もし、この騒動が少し後であれば、フォードII世はアイアコッカの提案を拒絶していたかもしれない。アイアコッカとフォードII世との確執が深まったのはそれからまもなくのことだったからだ。

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(2020/07/05)