西日本豪雨2年 自宅浸水、農機具などすべて失った真備の農家 コロナ禍に立ち向かう(産経新聞)

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 岡山、広島、愛媛など14府県で200人以上が犠牲となった西日本豪雨から2年。各被災地で住宅改修や店舗再開など復興が進む中、新型コロナウイルスの影響で生活が再び大きなダメージを受けた被災者もいる。それでも、豪雨で経験した助け合いや人々の優しさを糧に、他人のためにできることを考えていた。(鳥越瑞絵)  岡山県倉敷市真備町の農業、山田乃理子さん(38)一家が暮らす家は西日本豪雨の際、1階の天井まで浸水。その2年前に夫が脱サラし、数百万円の借金をして建てた14棟のビニールハウスは壊滅し、農機具、車など生活の糧のすべてを失った。  その約2週間後、次男の晃詩(ひなた)くんが誕生。用意していた哺乳瓶や衣類などは流されてしまっていたが、近所の人や友人が助けの手を差し伸べてくれた。避難所でも「大丈夫?」「無理しないで」と声をかけられ、乃理子さんは人の優しさのありがたさを感じた。「先は見通せないけど、子供を守らなければ」と奮い立った。  数千万円の借金をして農機具やハウスなどをそろえ、農業を再開。昨年1月末には倉敷市内の学校給食用の小松菜の出荷を再開した。植え付けから出荷まで、作業が軌道に乗り始めた矢先、今度は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で学校の休校が決まり、給食は中止に。予定していた出荷も止まった。  山田さん一家が出荷する野菜は、オリジナルの肥料で土づくりから始めるこだわりの野菜だ。「小松菜は植え付けから出荷までに、3月頃だと50日、今の時期でも30日はかかります」と乃理子さんの義母の美幸さん(63)が話す。いつ学校が再開するかが分からない状況下で、植え付けをやめるわけにはいかなかった。  行き場のない小松菜は大半が市場へ安く出されたが、廃棄せざるを得ないものもあった。一家は出荷作業を手伝うパート従業員に休んでもらうなどして、何とか耐えた。それでも乃理子さんら一家は、「もし災害が起きて被災したり、コロナで職を失った人がいたら、小松菜を分けよう」と、他人の役に立ちたいと考えていた。  5月末、倉敷市内の学校が本格的に再開。一家が作る小松菜は再び、給食の食材として並んだ。コロナの「第2波」への不安はゼロではないが、「豪雨のときに比べれば、生活の基盤はあるので前向きに頑張れました」。  晃詩くんも今月22日で2歳。「パパ」「じいじ」など言葉を話すようになり、お客さ

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(2020/07/05)