【グランプリレーサーから4シーターへ転身】マセラティ・ティーポ26 後編(AUTOCAR JAPAN)

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text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ) photo:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ) translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)   1931年の英国アイリッシュ・グランプリ。4シーターのマセラティ・ティーポ26スポーツがアルファ・ロメオ8Cの後を追う。周回を重ね、バーキンの8Cが目前に迫る。 【写真】マセラティ・ティーポ26とMC12 (46枚) 濡れた路面でアルファ・ロメオはテールスライド。リアタイヤはコース脇のグラベルを蹴り、マセラティめがけて小石を飛ばす。イタリア人ドライバーのカンパリは、ゴーグルが砕かれた。 ゴーグルの破片が目に入り、カンパリは渋々ピットイン。外科医の診察を受けることになる。残されたジュリオ・ランポーニが、ステアリングを握った。 ライディング・メカニックはカンパリのスピードには届かず、マセラティの順位は次第に降下。見かねたカンパリは、眼帯をしたままピットに姿を見せ、ランポーニとの交代を迫った。 再びマセラティのステアリングを握るカンパリ。激しい追い上げを見せ、彼のキャリアを築く熱い戦いを披露した。アイルランドの観衆は、カンパリの戦いに興奮したはず。しかし幸運も残りの燃料も、味方につけることはできなかった。 カンパリは完走するものの、惜しくもアルファ・ロメオから3分遅れの2位。エイストンが駆ったもう1台のマセラティは、4位でフィニッシュした。 当時の写真を見ると、バーキンとカンパリとで、異なるドライビングスタイルだったことがわかる。英国人のバーキンは道幅いっぱいに丁寧に走る一方で、イタリア人のカンパリは、マセラティを派手にドリフトさせている。 大雨の中、レースを見届けた観衆。その晩はダブリンのパブで、ビールを飲みながら話に盛り上がっただろう。

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(2020/07/05)