【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.3】赤石竜我「僕のバスケ人生を変えたU23代表戦」(バスケットボールキング)

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 2000年生まれの赤石。東京パラリンピック開催が決定した13年は、中学1年生の時。ちょうど車いすバスケットボールを始めた頃だった。  小学生の時から、仲のいい友人たちとよくバスケをして遊んでいたという赤石。3つ上の兄も中学、高校とバスケ部に所属していたこともあり、バスケは身近な存在だった。  中学校に入り、バスケ部に入った友人たちから刺激を受け、赤石は自分も車いすバスケに挑戦しようと地元のクラブチームに加入。すると時を同じくして、東京パラリンピック開催決定のニュースが飛び込んできた。学校の友人や先生から「東京を目指して、頑張れよ!」と声をかけられたことが、パラリンピックを意識した最初だった。  とはいえ、当時は夢のまた夢。世界の舞台で戦う自分の姿を想像することは、全くできなかった。 「僕は5歳の時から車いすに乗って生活をしていたので、車いす操作には自信があったんです。ところが、クラブに入って初めてバスケ車に乗ったんですけど、全然思うように操作できなかった。しかもシュートはリングにさえも届かなくて……。パラリンピックどころではありませんでした」  ただ、赤石は根っからの負けず嫌い。だからこその努力家でもある。うまくできないことが多く、悔しいと思えたことがその後の原動力となったという。  ようやく東京パラリンピックを現実的な目標として考えられるようになったのは、それから5年後のこと。18年に初めて日本代表の強化指定選手に選出され、同年10月に行われたアジアパラ競技大会のメンバーに抜擢されたのだ。 「それが東京パラリンピックを目指すスタートラインになったと思います」と赤石。その1年前、それまで無名に近かった彼が、日本代表へとのし上がるきっかけとなった大会があったーー。

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(2020/07/05)