感染11人治療 総力戦、耐えた浜松医療センター 搬送次々、不安との闘い【新型コロナ 検証第1波】(@S[アットエス] by 静岡新聞SBS)

【リンク先抜粋】
 2月上旬、浜松医療センター(浜松市中区)の電話が鳴った。  「明日、クルーズ船の患者がそちらに行くかもしれません」  新型コロナウイルス感染者の受け入れを求める、県からの初めての要請だった。「来るときが来たか」-。感染症内科部長の矢野邦夫医師(64)は、改めて気が引き締まったのを覚えている。  搬送される予定だったのは2人。「え? これだけ?」。いざ患者を受け入れる段階になり、感染管理認定看護師の宮崎佳子さん(42)は情報の少なさに驚いた。伝えられた情報は「1人は外国人男性」とあるだけだった。国籍はどこか、何歳なのか。どんな症状なのか。分からないことだらけだった。「感染症対策上、すごく不安だった」と振り返る。  患者が到着したのは電話があった2日後の午前2時ごろ。ぐったりしていて、とても問診できる状態にない。すぐに病室で休んでもらった。収容したのはウイルスを室外に放出しないように気圧を下げる陰圧装置を備えた感染者病棟。患者が過ごすエリア「レッドゾーン」と医師らが感染を防ぐ装備を着脱するエリア「イエローゾーン」に分けていた。  搬送時、2人とも鼻風邪のような症状だった。入院は1人が20日間、もう1人は40日間ほど。経過観察だけで済んだが、病棟内は容体の急変に備え、絶えず緊張感に包まれた。  センターの医師、看護師は中国で感染が広がっていた1月、いずれ日本国内にも波及するだろうと感じていた。ただ、感染症病棟は2009年の新型インフルエンザの大流行時に稼働して以降、一度も使っていなかった。感染症指定医療機関として「いずれ受け入れることになる。態勢整備が必要」と総力で準備に着手。防護服の着脱訓練や国外の症例を検討する勉強会なども行い、未知のウイルスへの備えに追われた。  3月下旬から、市内では患者が次々と確認され、搬送が続いた。「いつ要請が来ても、いつ患者が急変しても対応できるように。とにかく気が抜けなかった」と矢野医師。片時も携帯電話を離せなかった。毎朝5~6時に出勤し、患者の顔色を確認してひとまず安心する―。そんな日々の繰り返しだった。  センターが5月上旬までに受け入れた患者は計11人。全員が重症化せずに退院していった。院内感染も防いだ。「次なる感染拡大が起きても最善を尽くしたい」。スタッフは第1波の経験を生かそうと、同じ言葉を口にする。

続きはこちら

(2020/07/05)