藤原ヒロシ、かつて「印税の使い道」を小泉今日子に尋ねたら…川谷絵音が聞く(J-WAVE NEWS)
【リンク先抜粋】
冒頭、お互いの出会いやサカナクション・山口一郎、ダチョウ倶楽部・寺門ジモンなど共通の知り合いについて述懐した川谷と藤原。川谷はまず、1964年生まれである藤原の学生時代の音楽遍歴を掘り下げた。
川谷:ヒロシさんって、もともとパンクですよね?
藤原:パンクに影響を受けました。中学で洋楽を聴きだした頃が1977年や1978年で、ちょうどパンクが流行っていた。その前はザ・ビートルズとかも聴いていたんだけどオンタイムじゃなかったから。それと同時に、7つ上の姉と同じ部屋で、姉がディスコやソウルを聴いていたから、それらも聴いていたんですよ。その両極端な音楽を聴いて育ちました。
川谷:なるほど。それで、ニューヨークやロンドンに行って?
藤原:そうそう。パンクそのものは1978年くらいに終わって、みんなそれぞれ違う音楽をやりだして、ヒップホップもちょうどオンタイムで出てきた頃。パンクをやっていてもヒップホップっぽいものに流れた人もいたりして、その頃は信じられないくらい新しいムーブメントやジャンルの音楽が出てきた。パンクが終わって解き放たれたというか、いろんな音楽をやりだしたすごくおもしろい時代でしたね。