G大阪遠藤がJ1最多出場、再出発でダービーで偉業(日刊スポーツ)
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<明治安田生命J1:G大阪-C大阪>◇第2節◇4日◇パナスタ
新型コロナウイルスの影響による約4カ月の中断期間を経て、待望のJ1リーグ戦が再開された。G大阪のプロ23年目、元日本代表MF遠藤保仁(40)はJ1通算632試合出場を果たし、楢崎正剛(元名古屋GK)を抜いて単独最多記録を樹立。無観客試合の大阪ダービーに先発した。Jリーグの再出発の日に、歴史的偉業で花を添えた。
【写真】故郷鹿児島に住む遠藤の父武義さんと母ヤス子さん
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静寂に包まれた本拠地で、プロ23年目の遠藤がJ1最多出場記録を塗り替えた。3-5-2システムで、中盤の底に位置するアンカーとして先発出場した。
「長い間やっていないと到達できない記録。ありがたいことに、多くの試合に出させてもらった。これからも自分の力を信じることを続けていきたい。サッカーを楽しむこと、味方や敵との競争に勝ち、目の前の試合に出たい、それだけです」。再開直前の6月30日、遠藤は語っていた。
日本が初出場したW杯フランス大会の98年にプロ入りした。現役引退は平均で20代後半といわれるJリーグで、多くの仲間が先にユニホームを脱いでも第一線でプレーしてきた。
横浜F時代のレシャック監督(スペイン)から始まり、現在の宮本監督で13人の指揮官に師事。国籍やサッカーの方向性が違っても、遠藤は「その時代に応じたサッカーに、自分を寄せていった部分もある。ただ最大の特長を削ってまで寄せていかない。不得意な部分をやってまで試合に出るよりも、自分がこうだと見せてきた」。06年ドイツ大会から3大会連続W杯に出場したのも同じ原理だ。
それが正確無比な長短のパスであり、緩急自在なゲームメークと戦術眼。「フェアプレーは素晴らしいことだが、時には危険を冒してでもやらなきゃいけないプレーがある。レッドカードによってチーム勝つならもらう」。そんな覚悟でさえ、遠藤の技術や制御心があれば無用だった。
大きなけががなかった鉄人だが、26歳だった14年前、ウイルス性肝炎で現役続行の危機に立たされた。あらゆる治療で復帰させてくれた兵庫医大の医療従事者へ、約2カ月の長期離脱にも待ち続けてくれた当時の西野監督への感謝は忘れていない。
この日午前に九州南部を襲った豪雨は、故郷鹿児島にも大きな被害をもたらした。大阪にも激しい雨を降らせたが