【失われたアイデア工場の内側】ヴォグゾールのデザインスタジオへ潜入 後編(AUTOCAR JAPAN)

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text:Steve Cropley(スティーブ・クロップリー) photo:Will Williams(ウィル・ウイリアムズ)/Vauxhall(ヴォグゾール) translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)   ヴォグゾールのエンジニアリング&スタイリング・センター、グリフィン・ハウスのボスは、デイビッドBジョーンからレオ・プルノーへ変わり、全盛期を迎える。 【写真】デザインセンターとコンセプトモデル (40枚) 初代シボレー・カマロのデザインに関わった人物で、コークボトル・ラインは、後のヴォグゾールHBビバへも大きな影響を与えた。今でも、そのデザインの評価は高い。 GMで最も有名なデザイナーの一人で、グローバル・デザインのトップを務めていたビル・ミッチェルは、年に1度、グリフィン・ハウスを訪ねた。権威主義的な雰囲気を撒き散らして。 ミッチェルは、実寸大のクレイモデルへ注文を付けた。気に入らないデザインを目にすると、ランチから戻ってくる前に修正しておきなさい、と指示を出したという。 ちなみにクレイモデルとは、デザイン開発で制作する工業用粘土の試作モデル。スケールモデルもあるが、デザイン案が進むにつれて実寸大が作られる。 一方、レオ・プルノーの身代わり的に働いたデザイナーのウェイン・チェリーは、柔らかな雰囲気だった。グリフィン・ハウスの最盛期に、主要な役割を果たした。 アメリカの美術大学を卒業した彼は、GMへと入社。シボレー・カマロやオールズモビル・トルネードのデザインに関与。1965年にレオ・プルノーのアシスタントへ就任すると手腕を発揮し、ヴォグゾールXVRコンセプトのデザインに取り組んだ。 今でもウルトラ・モダンに見えるデザインだ。さらに強い影響力を放ったSRVコンセプトも生み出す。ルーイトンのグリフィン・ハウスの創造性を、強く世界へ知らしめることになった。

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(2020/07/04)