宮沢和史、沖縄「慰霊の日」を振り返る。島唄で感じる、当時の人々の思い(J-WAVE NEWS)

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宮沢は「慰霊の日」にちなんだ島唄を選曲。まずは、『屋嘉節』を紹介した。 戦争が終わる頃の金武村屋嘉に、日本軍の捕虜収容所である屋嘉収容所が設けられた。『屋嘉節』は、そこで制作された。 宮沢:この歌の歌詞は、「悲しいかな、沖縄は戦場になってしまい、世の中の大勢の袖を涙で濡らした。あなたは石川村の茅葺きの長屋にいる。私は屋嘉の収容所の砂地を枕に寝ている」というもの。その当時の目線で描かれた現場の声が歌になったというものです。 続いて、『軍人節~熊本節』を紹介した。 宮沢:この歌は、男性が「あなたと縁を結んだけれど、数えてみればその日々はわずかだった。お国のために別れなければならない。愛しい人よ、諦めておくれ」と歌い始めます。そうすると男性の妻が「あなたは軍人です。どうして泣いていられましょう。笑ってお戻りください。お国のために戦ってきてください」という内容を歌います。沖縄には大勢の日本兵がやってきて、沖縄の人もたくさん戦場に駆り出されます。男性の妻は本当の心の中は絶対違うけど、建前のうえでこういう会話をしなくてはいけない時代背景が沖縄にもありました。 宮沢は沖縄民謡の『平和の願い』も紹介。その歌詞を解説する。 宮沢:この曲は、「沖縄という島はいつも戦争の世だ。心安らかに暮らせるのは一体、いつのことだろう。思い願うことはただひとつ。恋しい日本、やがてそのお膝元のうれしさよ」と歌われています。これは1971年の作品で、沖縄が日本に返還される前の年に作られました。 「早くアメリカの統治区から出て、日本に戻りたいよ」と歌われているが、沖縄返還後も教育で日本化を進められ、依然として基地問題もあり、多くの問題が残っていると語る。 宮沢:沖縄にいろんなツケを残したまま現代を迎えているということで、非常にこの歌詞が胸に突き刺さり、戦争はまだ終わってないんだなという気になります。でも、この歌で歌われる平和への思いが音楽として花が咲くように美しく歌われると、現実はあるけれど平和を願う気持ちはみんな一緒だよと。早くこの島、日本、そして世界中が笑顔で過ごせる未来が来てほしいと願う気持ちが伝わってきます。 宮沢が紹介した沖縄の歌を聴き、あらためて戦争や平和について考えてみてほしい。 2013年3月に沖縄国際映画祭で上映された、宮沢や多くの人たちのインタビューをもとに楽曲『島唄

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(2020/07/03)