メダルを逃し「心が折れた…」アーティスティックスイミング元日本代表・三井梨紗子を救った転機とは?(TOKYO FM+)

【リンク先抜粋】
三井さんは高校生にして日本代表に選出。すぐに、世界水泳選手権への出場を控えていただけに「試合期間が(ジュニアとは)全然違って、1週間ずっと試合づけで、試合前の合宿もすごく長丁場でした。もちろん、1番下っ端でしたし、技術の差も“すごくあるな”って感じました」とシニアとのレベルの違いを痛感したそう。 その環境下での1日の練習は、「“泳ぐ”“食べる”“寝る”(苦笑)。その3つしかやらないような生活になっていたので、アーティスティックスイミングが生活のすべてになっていた」と振り返ります。 2011年の世界水泳選手権に出場後、彼女が目標としていたのは、2012年のロンドンオリンピック。代表メンバーとして選ばれるのが、世界水泳選手権よりも少ない9名とあって、「絶対にメンバーに入りたい!」との強い思いから、命懸けで練習に励んだそう。 血のにじむような努力をする一方で、「すごくラッキーだった」と話すのは、身近な先輩の存在。自身が所属していたクラブには、4人もの先輩が日本代表メンバーとして活躍していたそうで、「上手な人しかいなかった。そんな先輩方と一緒に練習できた環境は、すごく自分に合っていた」としみじみと語ります。お手本となる先輩選手とともに練習に明け暮れた三井さんは、チーム最年少となる19歳でロンドンオリンピックの代表メンバーに選ばれました。 とはいえ、夢の舞台で泳げるかどうかもわからない“補欠”での選出だっただけに、「本番を迎えるまで、死にもの狂いで練習をしていた」と話します。初めて出場したオリンピックを振り返り、「あっという間に終わった。気づいたらオリンピックの場にいて、歩き出していて、曲が流れて(水中に)飛び込んだらもうほとんど記憶がなくて……泳ぎ終わったら結果が出ていた」との言葉からも緊張ぶりがうかがえます。 1984年ロサンゼルスオリンピックに正式種目となってから、ずっとメダル獲得を果たしてきた日本代表。しかし、期待を背負って挑んだロンドン大会では5位という結果で、初めてメダル獲得を逃してしまいます。 「いままでメダルを獲り続けていたので、『メダルを落としたオリンピック選手』と言われたのが、すごく悔しくて……自分は補欠だったので、チームにも貢献できなくて。自分の力のなさを痛感した不甲斐ないオリンピックを経験した」と悔しさをにじませます。 しかし、落ち込んで

続きはこちら

(2020/07/03)