「私にお任せくださりませ」―― 戦国版ホームドラマが重厚ドラマになった『利家とまつ』。脚本の力は絶大ということを証明した大河ドラマ【麒麟がくる 満喫リポート】(サライ.jp)

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『麒麟がくる』休止中の代替番組第三弾は、『利家とまつ』の名場面スペシャル。日韓共催のサッカーワールドカップが盛り上がった2002年放映の大河ドラマ『利家とまつ』は、〈戦国最強のホームドラマ〉を標榜して制作された。 * * * ライターI(以下I):『麒麟がくる』休止代替番組の第三弾は2002年の『利家とまつ』の名場面スペシャルです。 編集者A(以下A):18年前ですか。視聴率的には成功した大河ドラマです。北陸新幹線の金沢開業が2015年ですから、新幹線開業前だったんですね。 I:前田利家が唐沢寿明さん、まつが松島菜々子さんという豪華なダブル主演でした。信長役は反町隆史さん。信長の〈であるか〉の台詞が多用されました。 A:〈であるか〉〈である〉〈であるのう〉〈であるな〉などいくつもバリエーションがありました。私は信長といえば、1983年の『徳川家康』の役所広司さんの世代ですが、反町さんの信長は信長らしい信長だったと思います。 I:風俗考証を担当された二木謙一先生(國學院大學名誉教授)が著書『時代劇と風俗考証』(吉川弘文館)の中でこんなことを記しています。 〈『利家とまつ』では、京都や安土にいる信長の側近の利家が、しばしば一人で故郷の尾張荒子に帰っていたり、信長に従軍して戦場にいる利家の所に、まつが姿を現わしたりすることなどは史実としてありえない。けれども夫婦愛をテーマとする戦国版ホームドラマを売り物にしているからには、そうしたフィクションにも目をつぶるよりほかない。こうした史料にないところを、いかに面白く創作するかが、脚本家の腕のみせどころとなるのである〉 A:ありえないことでもいかに自然な形でストーリーに組み込むかが、ドラマ作りの技量を問われる部分なんでしょうね。やり過ぎたら興覚めですし、ぎりぎりの線を見極めるのは難しいことです。『利家とまつ』の脚本は1995年の『秀吉』と同じ竹山洋氏。戦国版ホームドラマと銘打ちながらも重厚なドラマとして展開されていたのは、やっぱり脚本の力だと思います。 I:竹山さんは、まつに並々ならぬ思い入れがあったんだと思います。そういうところも良作になった原因なのでしょう。そのほか、印象に残っているのは、百万石を目指そうとみんなで〈百万石! 百万石!〉とシュプレヒコールを展開する場面(第12話)です。なんだかわかりませんが、

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(2020/06/28)