加藤登紀子 「隠し子つくれば」と聞くと高倉健さんは(NIKKEI STYLE)

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■出演を断っていた「居酒屋兆治」、私が女房役では納得できない  ――「居酒屋兆治」(1983年)は女優として初の本格デビューになりましたね。  「最初はかたくなにお断りしていたんです。だって私、プロの女優じゃないし、健さんの大ファンでしたから。健さんの女房役を私がやるなんて、一人のファンとしても絶対に納得できなかった。でもプロデューサーが来て『女優ではなく、加藤登紀子として出てほしいんです』と熱心に説得されたので、『そこまで言ってくださるなら』とお引き受けすることにしました」  ――なぜ素人の加藤さんを起用したのでしょうか。  「これは推測ですが、映画の中で函館の居酒屋主人を演じた健さんが、暴言を吐いた客を我慢できずに殴って警察に捕まり、私が出迎えに行くシーンがあるんです。私、実生活でも学生運動のリーダーだった藤本敏夫と獄中結婚し、接見したり、出所を出迎えたりしていましたから、そのイメージが皆の頭にあったんじゃないでしょうか。警察署を一緒に出て、並んで波止場を歩くシーンで私がふと物思いにふけっていると、健さんが私の顔をのぞき込みながら『(ご主人のことを)思い出すんですか……』と突然、おっしゃったので驚きました」 ■健さんは左翼学生のヒーロー、インタビューでビックリ質問  ――任侠映画「昭和残侠伝」シリーズ(65~72年)の主役だった健さんは左翼学生たちのヒーローでしたからね。  「そうなんですよ。反帝全学連委員長だった藤本も熱狂的なファンで、そのしぐさまで熱心に研究してマネしていましたから……。健さんは、そんな学生運動家たちに自分の映画が広く支持されていたことをかなり意識していたようです。藤本の葬儀(2002年7月死去)にも、一周忌にも、お花を贈っていただきました。とてもうれしかったです。私、映画の中で何も演技をしていないのに、スタッフのほか、珍しく降旗康男監督までが『とても良かったですよ』と褒めてくださった。皆さんが藤本のイメージをダブらせながら映画の中の私を見ていたような気がします」  ――夫の藤本さんが映画を間接的に結び付けたわけですね。  「そういう部分はあったと思います。でも私に出演依頼が来たのは、ほかにも伏線があります。実はその数年前、雑誌のインタビューで健さんにお会いしているんです。健さんは降旗康男監督の『冬の華』(78年)を撮影中で、私の新曲『時代お

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(2020/06/27)