【#トッププレーヤーの高校時代】林翔太郎「全てのポジションをさせてくれたことに感謝です」(バスケットボールキング)
【リンク先抜粋】
――まずバスケットボールを始めたきっかけを教えてください。
林 小学生の頃にスポーツを始めようとしていて、小学校のスポーツクラブがバスケと野球とサッカーで、たまたま最初に見学に行ったのがバスケットボールでそのまま始めました。
――当時憧れていた選手はいましたか?
林 カーメロ・アンソニー(ポートランド・トレイルブレイザーズ)です。
――中学校時代は全国大会の経験などはありましたか?
林 ありません。すべて地区予選敗退で、北海道大会にも出たことがありませんでした。
――その中で林選手の役割は?
林 チームではエースでキャプテンでしたが、今お話したようにチームは地区予選で敗退です。それでも地区選抜チームのキャプテンに選ばれたのですが、北海道選抜の選考会で一次予選、ジュニアオールスターのメンバーには選ばれませんでした。
――旭川大学高校に進学した理由は?
林 ミニバスの頃からの友人に誘われたのがきっかけです。というのも、ミニバスのころは自分たちのチームが強かったのに、中学になるとその友達のチームのほうが圧倒的に強くなって。友達もうまくなっていったので、その人たちと一緒にバスケをしたいと思っていました。ただ、学校が地元から少し離れていたので下宿生活だったんですが、その時は早く実家から出たいと思っていたのに、親元離れて初めて親のありがたみを知りました。1カ月でホームシックになりました(笑)。
――高校の練習にはすぐになじめましたか?
林 馴染めませんでした。他のうまい同級生はAチームのようなところで練習していたんですけど、僕は下手くそだけど身長が190センチくらいあったので、そこに入れてもらっていて。他の人と差がありましたね。
――練習メニューが厳しくて部活をやめたいと思ったことはありますか?
林 あります。たくさんありました(笑)。大学時代も含めていっぱいありますよ。ただ、今となっては本当にやめなくてよかったです。
――名物練習はありましたか?
林 高校の時は体育館の四つ角にコーンを置いて1周18秒で30周のコートラン、それが大学になると50周や100周の時もありました(笑)。