北は拡声器に極めて敏感…会談のたびに中止を要求、砲撃も(朝鮮日報日本語版)

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 かつて非武装地帯(DMZ)地域で実施されていた韓国軍の対北拡声器放送は、心理戦に弱い北朝鮮軍の急所を突く代表的な非対称戦力に挙げられていた。2017年6月に中部戦線の軍事境界線(MLD)を越えた北朝鮮軍人をはじめ、前方地域で亡命した北朝鮮軍の相当数が、拡声器放送を聞いて脱北を決心したほどだ。拡声器1台で放送距離は最大20キロに達し、DMZ付近にいる北朝鮮軍1個師団の展開地域で放送を聞ける。  北朝鮮軍は2000年代初め以降に行われた各種の南北会談で、拡声器放送の中止を執拗(しつよう)に要求した。2000年の6・15南北首脳会談の際には、和解の雰囲気をつくり出すという観点から放送を一時中止し、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代の04年6月、第2次将官級軍事会談合意に伴って最前方地域の拡声器放送は中止、施設は撤去された。だが10年3月に北朝鮮軍が哨戒艦「天安」爆沈事件を起こした後、韓国軍は拡声器施設を復旧させ、15年8月に木箱地雷挑発で韓国軍将兵2人が重傷を負うと放送を再開した。  当時、北朝鮮軍は「対北心理戦放送を中断しなければ無差別打撃を行う」とした後、砲撃挑発を敢行した。これに対し韓国軍が砲撃で対抗すると、北朝鮮は「2+2高官級会談」を電撃提案した。北朝鮮は当時、拡声器放送の中止に必死でこだわり、最終的に韓国側が放送を中止する代わり、北朝鮮側は地雷挑発に対し遺憾を表明(8・25合意)することとした。16年1月に北朝鮮の4回目の核実験で再開された対北拡声器放送は、18年の4・27板門店宣言に伴って中止された。

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(2020/06/23)