ニュー・オーダーが独自のサウンドを確立した記念すべきアルバム『権力の美学』(OKMusic)

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1978年にセックス・ピストルズが解散、翌年にはザ・クラッシュがレゲエやR&Bを取り入れた『ロンドン・コーリング 』を発表し、パンクロック(あくまでも形式としてだが)と決別する。この時点で、ポストパンクの時代が始まったと見ていいだろう。実際、70年代の終わりにはさまざまな新しいロックが登場している。それらを総称して便宜上“ニューウェイブ”と呼んでいるが、その範囲はそれまでのジャンル(例えばハードロックやブルースロック)とはまったく違う幅広いものだった。例えば、スペシャルズやセレクターといったグループに代表されるスカ・リバイバルや、ブリティッシュレゲエをはじめ、80年代に入るとピーター・ゲイブリエルが仕掛けたワールドミュージックの祭典『WOMAD』に影響を受けた新人たち、テクノ、ニューロマンティックスのアーティストが登場するなど、ポストパンクは多くのグループがしのぎを削る時代であった。 そんなポストパンクの時代にニュー・オーダーは結成されたのだが、彼らのことを説明する前に、まずその前身となったグループであるジョイ・ディヴィジョンのことを語らなければならない。ジョイ・ディヴィジョンは1977年にマンチェスターで結成(ウィキペディアでは76年になっているが、僕はドラマーのスティーヴン・モリスが加入し、メンバーが確定した77年こそが結成年だと考えている)された4人組のグループ。79年にはインディーズレーベルのファクトリー・レコードから『Unknown Pleasures』でデビュー。イアン・カーティスの陰鬱で重いヴォーカルは、パンクのアーティストとは対照的に内省的で、ポストパンクのカリスマ的な存在として注目を集めることになる。 しかし、人気が出ることでツアー生活が続くと、カーティスのてんかんや鬱病が悪化し、女性関係のもつれもあって80年5月に首吊り自殺する。彼はまだ23歳で、グループ初の全米ツアー直前のことであった。遺作となったシングル「Love Will Tear Us Apart」と、カーティスの死後リリースされた2ndアルバム『Closer』は大ヒットし、残されたメンバーはカーティスの穴を埋めることは不可能だとは分かっていたが、グループの存続を決めた。

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(2020/06/21)