伊良部の野球人生で最も“とがった”メジャー1年目(東スポWeb)

【リンク先抜粋】
【球界平成裏面史(52) 、ヤ軍・伊良部の巻(2)】ロッテから米大リーグの名門ヤンキースに移籍した伊良部秀輝投手を取材するため、記者は平成9年(1997年)6月から米国に滞在した。  フロリダ州タンパで行われたキャンプで、伊良部は報道陣に敵意をむき出しにし、これまでのバッシング報道のうっぷんを晴らすかのように悪態をつきまくっていた。ペンをへし折り、名刺を破る…。記者らの実家まで調べ上げ「お前は○○出身らしいな」と絡んでくるなど、取材どころではない恐怖感が漂った。  くしくも当時は恐竜パニック映画「ロスト・ワールド」が大人気で、同行したカメラマンと「俺らも毎日、ロスト・ワールドに行ってるみたいなもんだわ…」とため息をついていたものだ。  伊良部はそんな中でもメジャーデビュー戦に向けて順調な調整を続け、1Aタンパ、2Aノーウィッチ、3Aコロンバスとマイナーでの実戦登板を重ねた。移動が伴うため、報道陣も同行して地方都市に宿泊することになる。伊良部と同宿するケースもあり、報道陣の中にはエレベーターで伊良部と出くわすことを恐れて上階まで非常階段で上り下りするなど“恐怖症”に陥っている者までいた。  報道陣との溝は埋まらぬまま7月10日、伊良部はニューヨークでのタイガース戦で初登板初先発のマウンドに立つ。7回途中を5安打2失点、9奪三振の好投で記念すべき初白星。ヤンキー・スタジアムを埋め尽くした大観衆はスタンディングオベーションで日本からやってきた“和製ノーラン・ライアン”の快挙をたたえた。ずっと無視されてきた記者も、その結果には素直に喜んだ。  試合後、珍しく上機嫌で会見を終えた伊良部の様子をうかがいに、記者はヤンキースの選手ロッカーに入った。メジャーでは報道陣の入室が許され、地元記者らが選手と談笑していた。しかし、肝心の伊良部の姿が見当たらない。キョロキョロしていると「HIDEKI IRABU」と新しく書かれたロッカーがあり「ここが伊良部のロッカーか」と前に立っていたところ、背後からヌ~ッと巨体が現れた。 「あんたは何をしているんだ。人のロッカーをジロジロ見て、おかしいやろ」。慌てた記者が「ジロジロなんか見ていない。あなたを待っていただけだ」「次回登板のことを聞きたかった」などと取り繕ったが、伊良部のけんまくは収まらない。ただならぬ空気に潮が引くように周囲から人

続きはこちら

(2020/06/18)