2316人が犠牲 鹿児島大空襲から75年 犠牲者を慰霊(MBC南日本放送)

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1945年6月17日、鹿児島市は大規模な空襲を受け、2316人が亡くなりました。その「鹿児島大空襲」から75年となった17日、鹿児島市では犠牲者に祈りがささげられました。 鹿児島市のみなと大通り公園にある、民間犠牲者の慰霊碑「人間之碑」の前では、遺族10人や市の職員らが献花を行いました。献花は27年前から毎年行われていますが、今年は新型コロナウイルスの影響で、規模を縮小して行われました。 (姉を空爆で亡くした畑中厚子さん)「女子興業(学校)の寮で姉が亡くなりました。姉の分まで長生きしないといけないと思います。慰霊祭には必ず体が動くうちは参りたい」 鹿児島大空襲で生徒13人が犠牲になった、鹿児島女子高校の前身の女子興業学校があった共研公園では、同窓会のメンバーら12人が参加して慰霊式が行われました。 (同窓会帰厚会 上村和代会長)「花だけはあげたいと思って。(生存者の)戦争は嫌ですと言われたその言葉を、ずっと伝えていきたい」 今年は新型コロナの影響で毎年6月17日に開かれている「平和のつどい」が中止になったこともあり、「平和のつどい」を主催する生協コープかごしまも初めて参列して組合員が作った千羽鶴を供えました。 (6.17平和のつどい実行委員会 元山陽子委員長)「まだまだ知らないことがたくさんあるということと、子どもたちにもしっかりと伝えていかないといけないと改めて感じた」

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(2020/06/17)