その時、カルティエが輝いた!~歴史が語るトップジュエラーの過去・現在・未来~(25ansオンライン)

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電灯や自動車など新しい発明品が街を照らし、バレエや文学、アートなど新しい芸術が次々に誕生した19世紀末から20世紀初頭のパリ。“ベル・エポック”と呼ばれる輝きに満ちた時代の中で、ひときわ輝いていた女性が、ジャンヌ・トゥーサンでした。 1886年にベルギーのブリュッセルで生まれ、10代でパリにやってきた彼女は、まれに見る美意識と洗練された趣味で社交界のミューズ的存在になっていきます。そんなジャンヌと運命の出会いを果たしたのが、ルイ・カルティエ。 1947年にパリにて創業したカルティエをその先見性と審美眼で世界中の王室やセレブリティから愛されるジュエラーにまで成長させた創業者、ルイ=フランソワ・カルティエの孫である彼は、ジャンヌのデザインセンスと独創性に大きな感銘を受け、メゾンのデザイナーとして招き入れました。 1933年、ジャンヌ・トゥーサンはカルティエのアトリエのクリエーティブディレクターに昇進し、デザイナー、ジュエリー職人、宝石職人など男性ばかりのスタッフの監督役となりました。このような重要なポジションに女性が就くのは、宝飾業界で初めてのこと。ジャンヌにそれだけの才能と感性があったからでしょうし、抜擢したルイの人物を見極める眼もまた、卓越したものであったと言えるでしょう。 写真は1967年、ラ・ペ通りのカルティエのアトリエでのジャンヌ・トゥーサン。黒のミニドレスにロシア風のブーツを合わせ、幾重にも重ねたパールのネックレスの先端にボリューム感のある宝石をあしらった装いは、2020年の今でもそのまま通用するおしゃれさです。

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(2020/06/16)