チャカ・カーンのソロデビュー盤『恋するチャカ』は幅広いジャンルへ影響を与えた名作(OKMusic)

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1977年、ジョン・トラヴォルタ主演の映画『サタデイ・ナイト・フィーバー』が公開された。日本では翌年の78年に公開され、映画はもちろん、ビージーズが手がけた主題歌も世界中で大ヒットする結果となった。日本でも映画のヒットを受け空前のディスコブームとなり、パチンコでもお馴染みとなった“フィーバー”という言葉は今でも使われているぐらいで、その人気がどれほどのものだったかがお分りいただけると思う。 爆発的なディスコの流行で、ポピュラー音楽(特にソウル)は変わった。それまでと比べ、ダンスに重点を置いたサウンドが主流となり、メロディーや歌詞、編曲よりも“踊れるかどうか”が重視され、ディスコ向きの曲(ソウルをベースにした軽いファンクのようなサウンド)をリリースすれば何でも売れた。質より量で勝負する、言わば音楽業界のバブル時代である。もちろん、シックやEW&Fなど良いグループもあったが、その多くはダンスのBGMとして消費されるためだけに作られた音楽だった。 73年にデビューしたルーファスも、初期はディスコで消費されるようなダンス音楽をやっていた白人ファンクグループだった。ここに唯一黒人のリードシンガーとして在籍していたのがチャカ・カーンだ。はっきり言ってデビュー当時のルーファスはB級バンドで、チャカがいるから認知されていたと言ってもいいだろう。しかし、徐々にルーファスはバンドとしてまとまり、成長していく。グループ名を“ルーファス・フィーチャリング・チャカ・カーン”(‘75)と変えた4枚目あたりからグループは格段に良くなったが、チャカのヴォーカルの存在感は圧倒的となり、ルーファスの影は薄くなるばかりで、彼女がソロアーティストになるのは時間の問題だった。ただ、チャカ自身はルーファスを気に入っていたようで、ソロになってからもルーファスとの活動を行なえるような契約を結び、グループが解散するまで、何らかのかたちで絡み続けていたことからもそれが窺い知れる。

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(2020/06/14)