関係者の思惑に翻弄され、紆余曲折を経て完成した三田線。当初は東上線・田園都市線と直通する計画だった!?<東京地下鉄100年史>(HARBOR BUSINESS Online)

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 東京都がこの路線を整備することになったのは、6号線の予定ルートの地上部に沿って、都電が走っており、都電の代替路線としての性格が強かったためであるが、東京都が建設主体に決定するまでには紆余曲折があった。  というのも、都営浅草線の回で触れたように、東京都は地下鉄建設への参入を巡って営団地下鉄(現在の東京メトロ)と対立していたからである。最終的に運輸省(当時)が仲裁し、東京都が営団地下鉄から1号線(浅草線)の免許の譲渡を受け、地下鉄事業に参入することで合意するが、営団としてはこれ以上、東京都にテリトリーを侵害されたくないと考えていた。東京都は目下の交通問題を解決するためには、複数で地下鉄建設を進めた方が建設促進になるとの立場から、1号線に続く担当路線の割り当てを得ようと、各方面に働きかけを強めた。  結局、営団と東京都は日比谷・東銀座間の地下2階を地下通路にするか道路にするか、利用方法を巡って対立していたことから、1962(昭和37)年1月、運輸省と建設省、東京都が協議をし、東京都が営団の設計案を受け入れる代わりに、地下鉄整備計画に新たに追加される下板橋・五反田間の6号線は東京都の希望をいれて、建設主体を営団から都に移すということで合意。地下鉄6号線は東京都の2番目の路線になることが決定した。

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(2020/06/14)