國分功一郎──大切なことはいつも困難なのです(GQ JAPAN)

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イタリアの哲学者ジョルジオ・アガンベンが、政府はコロナ禍を利用して非常事態を恒常化しようとしているという趣旨の論説を発表し、いわゆる「炎上」騒動が起きました。確かに、命が危険にさらされるかもしれない疫病との闘いの中で、アガンベンの主張は人々の気に障るものだったのかもしれません。各国の有名哲学者からもアガンベン批判の声が上がりました。 しかし、アガンベンがその中で述べていることには傾聴すべき点が含まれています。アガンベンが取り上げている問題の一つは、死者たちが酷い扱いを受けているということです。「死者が葬儀の権利をもたない」、そういう社会が訪れているのだと彼は指摘しました。生きている者たちの命のために死者が冒涜されてもよいのか。アガンベンはそう問うているのです。 またアガンベンは、社会がただ単に「生存」だけを至上の価値とした時、社会は何か大切なものを失ってしまうのではないかとも問うています。確かに命は大切です。それは言うまでもない。しかし、その命のために人々の権利と自由が制限されるとき、我々はいったい何をしているのだろうか。生きているためなら権利と自由が制限されても仕方ない──そういうことなのでしょうか。 旧東ドイツ出身の独首相、メルケル氏は、移動の自由が苦労して勝ち取られた権利であることを知る自分のような者にとって、その制限は絶対的に必要な場合にのみ正当化されるものだと非常に強い言葉で主張した上で、新型コロナウイルスとの闘いを宣言しました。メルケル氏も権利と自由がどれほど貴いものであるのかを身に染みて知っているのだろうと思います。 いま求められているのは、感染症との闘いが社会に強いる制限の必要性と、権利と自由のかけがえのなさ、死者を弔うことの意味を同時に考えることのできる精神です。それは非常に困難なことですが、大切なことはいつも困難なのです。 PROFILE國分功一郎哲学者。1974年、千葉県生まれ。近著『中動態の世界─意志と責任の考古学』(医学書院)で小林秀雄賞と紀伊國屋じんぶん大賞を受賞。『暇と退屈の倫理学』(太田出版)や『民主主義を直感するために』(晶文社)など著書多数。

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(2020/06/13)