「蝶々夫人」は死ぬ必要があったのか(GQ JAPAN)

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女子プロレスラーの木村花さんが、出演する恋愛リアリティ番組をめぐってSNS上で誹謗中傷され、自ら死を選ぶという痛ましい事件が起きた。心無い言葉を投稿するのは一部の人にすぎなくても、SNS上に無数に散りばめられれば、それが自分をめぐる世界のすべてのように錯覚されることもあるだろう。そして、自分が生きる余地がこの世に残されていないかのように感じられもするのだろう。 昨今、新型コロナウイルス感染予防のための自粛をめぐり、日本ではよくも悪くも同調圧力が強いと話題になっているが、他者を攻撃して死へと追いつめるのもまた、一種の同調圧力だろう。そんな例はオペラにも見つかる。明治期の日本を舞台にしたプッチーニの名作「蝶々夫人」である。 1904(明治37)年にミラノ・スカラ座で初演された「蝶々夫人」の舞台は長崎。停留中の米海軍士官ピンカートンは、かりそめの「結婚」を所望する。周旋屋が相手に選んだのは大村の没落士族の娘で、生活のために芸者勤めをする15歳の蝶々さんだった。この「結婚」のためにキリスト教に改宗し、それがバレて親族から村八分にされた彼女をピンカートンが慰め、2人は愛を語らい合う。それから3年、すでに帰国したピンカートンの帰りを待つ蝶々さんのもとには、彼との愛の結晶である息子もいた。しかし、長崎に戻ったピンカートンは母国でめとった本当の妻を連れており、その妻は蝶々さんの息子を引き取ることを所望。希望を失った蝶々さんは、短剣で自害する。 やるかたない物語だが、蝶々さんはなぜ死を選んだのか。死ぬほかに道はなかったのか。新国立劇場の「巣ごもりシアター」では、6月12日15時から、昨年7月に高校生のためのオペラ鑑賞教室として上演された舞台の映像を鑑賞できる(蝶々夫人は小林敦子、ピンカートンは小原啓楼、シャープレスは青山貴)。通常の講演記録映像よりも多くのカメラを使っており、これを観ながら、蝶々さんの自死についてじっくり考えてみるのはどうだろう。 蝶々さんは命を絶つ前、父の形見の剣を取り出すと、そこには銘文が刻まれている。「誇りをもって生き続けられない者は、誇りをもって死すべし」。その前にも領事のシャープレスから、ピンカートンが帰ってこなかったらどうするかと問われ、死ぬのが一番よい旨を答えている。この2つの場面からは、絶望した蝶々さんが名誉の死を選んだと解釈できる。実際、新渡

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(2020/06/11)