メジャーで活躍!でも期待外れも…プロ野球「大物外国人選手」列伝(FRIDAY)
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NPBには毎年多くの外国人選手がやってくる。日本でプレーした外国人選手はすでに1000人を超えている。中にはMLBでも実績を残した大物選手もいるが、そうした大物が日本ですべて大活躍するわけではない。これが野球の面白いところだ。松坂、イチロー、松井、ダル…プロ野球スターの初フライデー写真70年ほど前まで、NPBとMLBの実力差は非常に大きかった。1949年来日したサンフランシスコ・シールズはメジャーではなくマイナーチームだったが、日本代表などに6戦全勝と圧勝した。1953年毎日に入団したレオ・カイリーは横須賀基地所属の米軍兵士で、レッドソックスで1シーズンだけ投げた駆け出しのメジャーリーガーだった。アルバイトで日本のプロ野球でプレーしたが、投げては6試合6勝、防御率1.80、打っては19打数10安打。日本のプロ野球を子ども扱いした。
1962年、中日に大物外国人選手が2人も入団した。ジャッキー・ロビンソンに次ぐ2人目の黒人大リーガーとなった外野手のラリー・ドビーと、MLB通算149勝投手のドン・ニューカムだ。超大物2人の来日に当時の大リーグファンは驚いたが、実はドビーは引退して3年目、ニューカムも2年目だった。39歳のドビーは10本塁打35打点、打率.225、40歳のニューカムは投手としては1試合に登板しただけ、打者として12本塁打43打点、打率.262だった。ドビーは1998年にアメリカ野球殿堂入り。来日外国人としては唯一の記録だ。
ディック・スチュアートは1963年レッドソックス時代に打点王。しかし一塁守備のまずさで有名で「奴の指は全部親指だ」など酷評され、打球の処理をするだけで拍手が起こった。1967年に大洋に入団し33本塁打。しかし一塁守備はリーグ最多の19失策。2年で退団した。
70年代に入ると、大物選手が続々来日する。
1965年カブス時代にMVPをとったゾイロ・ベルサイエスは1972年に広島でプレー。広島にとって実質的に初めての外国人選手で大いに期待されたが、4本塁打10打点、打率.189に終わり、ファンをがっかりさせた。
大洋は優秀な外国人選手を獲得するチームだが、1972年にはヤンキース、ブレーブスの正三塁手だったクリート・ボイヤーを獲得。華麗な守備で日本でも活躍し、MLBでゴールドグラブ、NPBでダイヤモンドグラブを獲得した最初の選手と