「通用しない」下馬評覆したイチローの突破力(日刊スポーツ)

【リンク先抜粋】
<壁を乗り越えたメジャーリーガー イチロー(1)> 日米通算4367安打を積み重ねたイチローの偉業は、これまで多く語られてきた。数々の大記録を打ち立て、米国でも野球殿堂入りが確実視される。その一方で、イチローは常に、負のベクトルと向き合い、目の前の障壁を乗り越えてきた。類いまれな技術だけではない。その強さは、苦境にも屈しない、柔軟かつ深い思考力に支えられていた。【写真】マリナーズ時代のアダム・ジョーンズとイチローイチローがメジャーへ移籍した2001年。当時は筋肉増強のためのステロイドなど、薬物使用が横行した時代だった。同年、バリー・ボンズが年間最多記録の73本塁打をマークしたように、米球界にはパワー信奉が広がっていた。しかも、マリナーズはイチローのポスティングシステムの入札金として1312万5000ドル(約14億円=当時)を投資。極東からやってきた細身の青年に対し、周囲は好奇の目を向けていた。 日本野球のレベルをマイナーの3A以下と評し、パ・リーグ7年連続首位打者のイチローに対する開幕前の成績予想は、大半が懐疑的だった。「長打力不足」「体力的に1シーズン持つか」。日本の評論家からも、パワーやスピードに対応するため「もっとバットを短く持った方がいい」との声が聞こえるほどだった。活躍できるか否か、ではない。通用するかしないか、のレベルだった。 そんな耳障りな雑音を、イチローは自らのバットでことごとく封じてきた。オープン戦の中盤。それまで左方向への安打を重ねていたが、ピネラ監督(当時)から「引っ張る打撃を見せてほしい」と声をかけられた。結果は、右翼席への本塁打。ダッグアウトへ戻り、同監督にニヤリと笑ったというのも、今や有名な逸話となった。 一方で、常に冷静かつ客観的に自分の立ち位置を見つめていた。キャンプ初日には、真顔で心境を口にした。「まだメジャーリーガーだと思っていないので、それを達成できるようにしたい」。公式戦のグラウンドに立たない限り、大リーガーとは呼べない。周囲の懐疑的な声を耳にしているからこそ、メジャーに挑む日本人初の野手は、新参者としての心得を忘れることがなかった。 その後の活躍は、詳細を記す必要もないだろう。最多ファン投票での球宴出場、首位打者、盗塁王、新人王…。シーズン終了後には、獲得を逃したヤンキースの担当スカウトが、オーナーのスタインブレ

続きはこちら

(2020/04/16)