衣笠さんの記録が途切れないように天気予報チェックが日課【名伯楽 作る・育てる・生かす】(日刊ゲンダイDIGITAL)
【リンク先抜粋】
【名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」】#38
私が二軍打撃コーチに就任した1983年春のキャンプ。二軍の夜間練習を指導する新米コーチの私に「ウチ、頑張ってるか?」と1学年上の山本浩二さんと衣笠祥雄さん(キヌさん=享年71)が、激励がてら練習場に来てくれたことがある。「ミスター赤ヘル」と「鉄人」は若手の練習を見ながら「おまえ、いいスイングするじゃねえか」と声をかけて回ってくれた。若手は目を輝かせている。私が言うより効果は絶大だった。
キヌさんは同学年の浩二さんと正反対な部分が多かった。
浩二さんは広角打法。キヌさんは「強い打球をレフトに打ちたい」と、若い頃からプルヒッターで、今の柳田悠岐のように、ヘルメットが吹っ飛ぶくらいフルスイングをするのがポリシーだった。
■「来た球を打てばええんや」
浩二さんは配球のチャート表や投手のクセなどを頭に入れて試合に臨んでいた。それに対し、キヌさんは「来た球を打てばええんや」と感性を大事にした。一言で言えば「天才型」である。
キヌさんは83年に2000安打を達成したものの、それまで一度も打率3割をマークしたことがないという珍しいケースだった。
それが、私が一軍打撃コーチになった84年になると、「バッティングを見つめ直す」と春のキャンプから逆方向へ打ち始めた。当時、連続試合出場記録が続いており、引っ張るだけでは、やがて行き詰まると感じていたのだろう。するとこのシーズン、37歳にして自己最高の打率・329、31本塁打、102打点で、打点王を獲得。リーグ優勝、日本シリーズも制し、MVPに輝いた。後にも先にも3割をマークしたのは、この年だけだった。
ケガに強く、骨折しても出場を志願した。79年に巨人の西本聖から死球を受け、左肩甲骨を骨折。全治2週間と診断されたが、翌日には代打で出場し、江川卓を相手に3球全てフルスイング。その2日後にはフル出場を果たした。トレーナーは「筋肉に張りがあって弾力がある。揉むと手がはじかれる」と証言した。そんな「しなやかで強い筋肉」こそが、キヌさんの武器だった。
私が一軍のコーチになった84年から古葉竹識監督、86年からは阿南準郎監督に「ウチ、天候を気にしといてくれ」と言われ、天気予報をチェックするのが日課になった。
キヌさんが打率・205と低迷し、スタメン落ちする試合が