イチロー氏に続いてほしい スター選手の引退後の活動が野球界の未来を変える(スポニチアネックス)

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 昭和の終わり。今から33年前のこと。ロッテの落合博満選手が球界初の1億円プレーヤーとなった。1986年オフ。その少し後に西武の東尾修投手も1億円の大台に到達した。東尾さんに当時の話を聞くと「下交渉では9500万円だった。500万円を自分で払うから1億円にしてくれ」と契約更改の席上で当時の球団代表の坂井保之さんにお願いしたという。  坂井代表は外へ出て、誰かと連絡をとり、その後に1億円を提示してくれた。「机の下で0が8個あることを指折りして確認したことを思い出す」と懐かしそうだった。今の選手から見たら「たった500万円」の出来事かもしれない。  平成を経て令和の時代に入った。今では、年俸5億円の選手が当時の1億円と同じ感覚だろうか。今年の年俸の上がり幅が1億円以上の選手だっている。メジャーリーグで言えば年俸30億円以上の選手が増えてきた。  今では、契約更改交渉の席上でメジャー挑戦への意向を伝え、ポスティングシステムでメジャー移籍の希望を公言する選手も多い。球団側もいつまでもポスティングシステムを容認しない時代ではなくなった。力のある選手は海を渡り、より多くの収入も得られるというチャンスも確実に広がっている。  だからこそと思う。一流選手はステータス上昇に伴い、責任感が増大していることも自覚してほしい。  今年引退した巨人の阿部慎之助選手が引退後にすぐ2軍監督となった。イチロー氏は12月13~15日に学生野球資格回復制度の研修会を受講し、プロアマ含めた野球界全体の中で何ができるかを考えてくれている。「休みたい」という気持ちよりも、野球界の発展のために引退後も前進しようとする意思は、2人のこのオフの発言を通じても感じる。ただ、イチロー氏や阿部2軍監督のように、一時代を築いた選手がどんどん続いていかないと、大きなうねりにならない。  このオフも各地で野球教室が行われ、現役選手が危機感の言葉を口にする。その光景はここ1、2年の話ではない。「夢がプロ野球選手という人は?」と聞くと「0人」という学校もある。  さまざまな改革が進む野球界。一方でスター選手の引退後の過ごし方が「休養」もしくは「野球評論家」だけでは、昭和の時代から何ら変わらない。心身とも命がけで現役で取り組んだ選手に、引退後の身の振り方の強制はできないのはもちろん分かっている。ただ、発言力、発信力

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(2019/12/26)