“風前のともしび”から奇跡の完全復帰! 渾身のメジャー復帰カバーアルバムに「頭を丸めた明菜のジャケット」 中森明菜の軌跡と奇跡(夕刊フジ)

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 【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】  芸能界からは縁を切られ、孤立無援になっていた中森明菜を救ったのは皮肉にもデビューから明菜を陰日なたに見守ってきた寺林晁氏(現エイベックス・エンタテインメント レーベル事業本部アドバイザー)だった。【写真】波瀾万丈の歌手人生を歩む中森明菜 寺林氏は明菜が事務所独立後、疎遠になりながらも1994年にMCAビクター(現ユニバーサルミュージック)に移籍して発売したカバーアルバム「歌姫」で企画に携わるなど制作面でサポート。  それから8年-。デビュー20年目を迎えた2002年2月、ユニバーサルミュージックで執行役員を務めていた寺林氏は明菜の周辺を一新した上で正式に契約を結び、自らが担当するレーベル「キティMME」からアルバムを発売した。  メジャー復帰第1弾として寺林氏が考えたのはカバーアルバム「-ZERO album-歌姫2」だ。かつての「歌姫」の“続編”とも言うべきものだった。  寺林氏は復帰第1弾をカバーアルバムにしたことについて「確かに新曲でいくか、カバー楽曲でいくかという論議もあった」とした上で、「しかし歌手であるなら、書き下ろしであろうと、カバーであろうと歌うことに何も変わりはない、当たり前のこと」。  寺林氏はデビュー20年目を迎え、生まれ変わった明菜を表現したいと思っていた。  「企画アルバムという名目でカバーアルバムを出す方もいましたが、多くは原曲に沿ったアレンジと歌唱法で作られていて、正直目新しいものはなかった。そういう意味だとカバーアルバム自体に企画性はまったくないのです。やはり、何を選曲し、どのようなアプローチで新しく歌に命を吹き込んでいくかだと思う。アートワークまで含んだ展開に企画が生まれてくるわけで、明菜の『歌姫』シリーズが他のカバーアルバムと一線を画しているとしたら、その部分が大きく違うと思っていた」  デビュー以来、明菜を見続けてきた寺林氏だけに“確信”もあった。  「表現のための素材を過去の優れた作品からも求めるという精神は何も終焉ではないですから。明菜らしい音楽的アプローチとビジュアル的なサプライズがちりばめられ、アートワークが一体となった作品は、何もシリーズと銘を打たなくとも大切なライフワークとして常に横にあるべきだし、実現したら新しい明菜作品として、オリジナル以上のものとして認知

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(2019/12/25)