イチローが、イチローだからこそ、控えに回った最後の5年間を見たくはなかった。(スポーツ報知)
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拝啓 鈴木一朗様
28年間の現役生活お疲れ様でした。
22日、今年限りで終える愛知・豊山町で続けてきた「イチロー杯」の表彰式で、野球少年たちに「知識として持っているのではなくて、体験して感じてほしい。価値観が変わるような出来事をみんなに体験してほしい」とのメッセージで締めくくったのもあなたらしい姿でした。
1996、98年の日米野球。2001年の自主トレーニング取材、同年の5月から6月のマリナーズ帯同取材。2014年暮れの大型インタビュー。あなたとの接点はこれくらいでしたが、オリックス時代はプロ野球の記録室担当、そして1999年メジャー担当となってからは、現地の記者や通信員の記事とともに、一挙手一投足を見守って、数多くの北海道版コラムに始まって、ネットコラムのベースボール・インサイド、そしてヒルマニアの題材とさせていただいてきました。
1996年の日米野球。現役大リーガー20人に「イチローはメジャーでも活躍できるか」のアンケートのうち19人が「YES」(ちなみにわからないと答えたのはドジャース・野茂英雄でした)と、外交辞令が含まれているのを割り引いても、メジャー選手にもスピード豊かな攻守が衝撃的だったのです。
2001年1月には、本拠地セーフコ・フィールドのトレーニングルームでトレーニング。また、グラウンドで遠投などを行っていた。午後1時すぎに囲み取材。約5分間程度だったが、レギュラーシーズンで5月に出かけると代表取材(それも1社)になったことを考えると、世間話もできた幸せな取材時間だったと今思います。
ペナントレースが始まると心配されたパワー不足を補って余りあるバットコントロールと、圧倒的なスピードでメジャーを席巻していくのは皆さんも周知の通りです。ただし、5~6月にかけ約2か月間の取材も本人と話したのはわずか2度しかありませんでした。帰国後に、現地で感じたマイナス面をそのまま書いた「イチローはまだメジャーではない」のコラム。これがイチローファンの逆鱗に触れ、“2ちゃんねる”にもアップされたのも今では懐かしい思い出となりました。
1年目から大活躍を見せ、2004年にはシーズン262安打のメジャー新記録を作った。帰国した際、吉田貴士さんが聞き手に回った元旦用の3ページに渡るロングインタビューに同席させていただきました。通常ならマネジャ