安部譲二さん波瀾82年、麻布中から暴力団経て作家(日刊スポーツ)

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自らの服役体験をユーモラスに描いたベストセラー小説「塀の中の懲りない面々」などで知られる作家の安部譲二(あべ・じょうじ、本名直也=なおや)さんが2日午前1時18分、急性肺炎ため、東京都内の自宅で死去した。82歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで営まれた。喪主は妻美智子(みちこ)さん。元暴力団員で日本航空の客室乗務員、キックボクシング解説者、用心棒など、異色の経歴を持つ作家として知られた。【写真】笑顔で話す安部譲二さん   ◇   ◇   ◇ 親族によると、安部さんは今年4月末から、都内の自宅で療養中だった。2015年に大腸がんが見つかり、切除手術を受けた。昨年末には肺への転移が見つかり、直後の散歩中には転倒して右大腿(だいたい)骨、右手首を骨折。体力が低下して入退院を繰り返した。それでも体調は安定していたというが、肺炎により今月1日に容体が急変。翌2日未明に帰らぬ人となった。4年前の手術後は「半隠居」として、仕事を減らしていたという。 波瀾(はらん)万丈の人生だった。進学校として知られる東京・麻布中学時代から、当時渋谷で勢力を誇った暴力団「安藤組」に出入り。16歳で正式組員となった。44歳で足を洗うまで「前科14犯」を自称した。1986年、49歳で自伝的小説「塀の中の懲りない面々」で作家デビュー。東京・府中刑務所での4年間の実体験をユーモラスに描き、同作の題名は流行語大賞にも選ばれた。このヒットをきっかけにテレビ番組にも多数出演。独特の風貌とコメントで、お茶の間にも親しまれた。 憎めない人柄で幅広い人脈を築き、数々の逸話にあふれた異能の人でもあった。麻布中時代の同級生は、故橋本龍太郎元首相。入試の受験番号が1番違いで「1番頭が良さそう。カンニングするなら」と独特の嗅覚で感じ取ったといい、試験では橋本氏の後席を定位置としたという。 暴力団と関係があることが発覚して麻布高への進学はかなわず、父親の方針で英国に留学するが素行不良で退学となり、そのまま欧州を放浪。帰国後も慶応高や須磨高(兵庫)など転校を重ね、結局、高校を卒業したのは22歳の時だった。 23歳で日本航空の客室乗務員として勤務するが、客への暴力事件や当時前科3犯で執行猶予中であることなどが明るみとなり退社。その後は作家デビューを果たすまで、キックボクシングの解説者、用心棒、競馬評論家など職業を転々と

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(2019/09/08)