大谷・イチロー・王・長嶋――「野球の天才」が語る日本文化(THE PAGE)

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 メジャーリーグでは、大谷翔平が打者としても十分にやっていけることを証明しつつある。来年は投手としても復帰するというが、いわゆる二刀流を貫くことは、日米をつうじて野球界の常識になかったのだ。そしてあの童顔も素晴らしく、野球に縁のなかった女性ファンにまで「かわい~」といわれる。  その大谷が大リーグ入りしたのと入れ替わるように引退したのがイチローである。まったく違うタイプで、はっきりいえば可愛くはない。大谷とは逆に野球をよく知っている人に評価される傾向にあり、プロ好みだ。しかしあの内野安打に象徴されるように、これまでの常識を破る点では同様である。禁欲的な自己管理の姿勢は「サムライ」のイメージだが、主君に仕える滅私奉公的なそれではなく、宮本武蔵、佐々木小次郎、柳生十兵衛といった、剣の道を追及する「孤独」なサムライ精神だろう。  かなりさかのぼって王貞治。独特の「一本足打法」によってホームランを量産した。イチローのバッティングとは対照的だが、自己のスタイルに徹するという点では同じである。日本刀を振ってバッティングの奥義を極めたという。つまり王もサムライであるが、どこの藩にでも勤められそうな「道徳」としての武士道精神がある。  そしてもう一人、誰もが認める長嶋茂雄である。野球少年がそのまま大人になったようで、やはりセオリーを感じさせない。場合によっては敬遠のボールにまで手を出す。足も早く、守備も素晴らしい。普通のサードゴロに猛ダッシュして補給姿勢のまま横からスローイングするダイナミズムは、モノマネの対象にもなり、ショーを見ているようでもあった。道徳的な王の野球とは違って「野生」の野球といえる。  長嶋、王、イチロー、大谷、この四人は単に野球がうまいというだけではなく、それぞれ独特の技法によってそれまでのセオリーをくつがえした、いわば「天才」である。そしてそれゆえに、実績の数字だけでは測り切れない評価と人気があり、そこにその時代の日本が置かれた文化状況が感じられるのだ。  長嶋と王は年齢は近いが、人気最盛期の日本の状況はたいぶ異なっていた。端的にいえば、長嶋は「戦後の復興期」、王は「昭和の成長期」、イチローは「平成の低迷期」、大谷は「令和の新時代」を象徴する。

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(2019/09/01)