イチロー・スピリットとは何か──旧知の間柄の編集者が天才とのやり取りを振り返る(GQ JAPAN)

【リンク先抜粋】
「なっている、じゃなくて、している、ですよね」 51番の指摘が飛んできた。サンディエゴの寿司屋での出来事だ。 そのころ私は年に何度か海を渡り、イチロー選手の試合を追いかけていた。彼に関するムックや本を英語版も含め何冊も作り、時には食事の席につらなる幸運も得た。遠征地での昼食のピザ、試合後の焼き肉、イタリアン、寿司。その夜、新たに仲間に加わった同行者から「堤さん、さっきからずっとイチローさんと同じものですね」と訊かれ、「うん、そういうことになっているんだ」と私は答えた。(新参者の君と違って、ぼくは51番と示し合わせて同じものを食する仲なんだぜ)と、言い方に親密さを匂わせたのだ。 そんな欺瞞を、51番は聞き逃さない。カウンターの左隣に座る彼から、即座に冒頭のひとことが来た。私も、自分が言ったのほぼ同時に(いかん!)と心で叫んでいた。彼が聞き逃さないのはわかっているから。我がヒーローと同じものを食べたい一心で、ぜんぶ同じでとお店の大将に頼んだだけ。「そうです、私がそうしたくてそうしている、です」と素直に訂正する。彼より17も年上の私だけれど、お座りやお預けを仕込まれている途中の子犬みたいだ。私の躾しつけを終えると、彼は大将に「キュウリください」。カッパ巻きではない。遠征地での野菜不足を補うべく(たぶん)、キュウリを丸ごと1本もらってかじるのだ。 1998年秋の日米野球のころからイチロー選手に接する機会を得て、どれだけ多くのことを教えられただろう。その生き方は、周囲にいる者の姿勢をも変える独特の個性と強烈なエネルギーを放っていた。何より「自分にウソをつかない」こと。たまたま結果が出たからといって、自分に実力が伴っていないのに「できるようになった」とは思わない。いつも、どこか頭上から自分を眺める「もう一人の自分」がいて、言動を客観視し、ごまかしや誇張をチェックし窘たしなめる。増長したり天狗になったりしかけた自分を「もとの位置に戻す」。彼はずっと、そうして生きていた。我が身を振り返ると、なんと恥ずかしいことか。彼の精神の本質が少しずつわかってくるにつれ、その姿勢に倣ならおうとするようになった。20年あまり経っても、まだまだ「彼の位置」にはまったく到達していないけれど。 さあ、そうなると、彼に会える機会は、自分を試す場となる。ひとつもごまかしを言わず、知ったふりをせず

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(2019/08/08)