なぜ公安部は「オウム犯行説」に固執したのか? 狙撃事件の裏側で刑事が見たもの(PHP Online 衆知(Voice))

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――著書『宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年』(講談社)では、原さんたち刑事部捜査第一課が中村を追っていた一方、公安部は「オウム真理教による犯行」という前提に固執していた様子が印象的です。 原 捜査は本来、積み重ねた事実を検証しながら進めていくべきであり、思い込みで進めてはなりません。公安部はオウム犯行説を押し通していた一方で、中村に対する捜査については一貫して否定的でしたが、捜査は継続するように指示されました。 平成20年(2008年)、当時の警視総監から中村の捜査再開を指示されたとき、私は、捜査第一課と公安第一課の捜査員をそれぞれ5名ほど集めた混成チームをつくりたい、と要望しました。 異なる視点で事件に向き合っていた者同士でタッグを組むことで、お互いに視野狭窄に陥らないようにしたかったからです。 その上で私を班長とした「中村捜査班」が結成され、証拠品の分析や共犯者の割出し等を進めていきました。刑事部と公安部が垣根を超えて同じ捜査に携わることは、警察組織においてきわめて異例なことでした。 ――しかし、最終的に中村の立件には至らず、平成22年(2010年)3月30日に警察庁長官狙撃事件の公訴時効が成立します。あらためて当時の心境を教えてください。 原 もちろん、立件できなかったことは無念でした。同時に「これで解放される」という安堵感も抱きました。これが正直な思いです。 ただ、公安部長が記者会見で、中村の捜査についてはいっさい触れず、「警察庁長官狙撃事件はオウム真理教信者グループにより敢行された計画的・組織的なテロ」と発表されたことには、驚きを禁じえませんでした。 捜査員の多くは歯軋りをして悔しがっていましたよ。いくら事実を積み上げても、事件の解決には至らない矛盾に納得できないでいました。 私は、検挙に至ることができなかった自分の無力さを、懸命に捜査をしてきた仲間たちに詫びました。みんな俯いて、黙って私の話を聞いていました。その光景は、いまでも鮮明に覚えています。

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(2018/11/06)